1987年の国鉄分割・民営化の際、1047人が受けたJR採用差別の解決を求める国鉄闘争の団結集会が10日夜、札幌市で開かれました。道国鉄共闘会議、道労連、札幌地区労連、建交労道本部の共催で、集まった500人は23年に及ぶ闘争の早期政治解決へ団結をかためあいました。
主催者代表であいさつに立った名知隆之道国鉄共闘代表は(道労連議長)は、今年の運動を振り返り、「裁判闘争、世論づくり、政治解決を求める三つの分野で、勝利解決に向け局面を大きく切り開いた1年間だった」と述べました。
来賓あいさつした全労連国鉄闘争本部の根本隆本部長は「歴史を動かす今の事態と国鉄闘争の解決を結び、運動していくことが極めて大事です」と強調しました。国鉄労道組合道本部の手代木昭彦書記長は「政治解決の機運を逃すことなく、不退転の決意と一糸乱れぬ団結でたたかいを続けなければならない」と表明しました。
日本共産党はたやま和也参院候補は「団結を固め世論と運動を広げ1日も早い解決を求めて行きましょう。みなさんと連帯し国会でも北海道でも全力を尽くします」と決意を表明。紙智子参院議員のメッセージが紹介されました。
全動労裁判弁護団の内田信也弁護士が裁判の現状を報告。全動労争議団の池田孝治団長は「新政権に政治解決を迫るため家族とともに全力で奮闘したい」と決意表明しました。
全道労争議団などによる合唱構成「われら、たたかう全動労」が披露され感動の拍手に包まれました。
12月15日午前、年金支給日に合わせ地下鉄平岸駅前の銀行前で「安心して暮らせる年金制度を」「後期高齢者医療制度の廃止4年も待てない」と署名宣伝行動を行いました。
行動には、年金者組合、新日本婦人の会、勤医協豊平区健康友の会などから12名が参加しました。
年金者組合豊平支部真田事務局長、池田ゆみ共産党豊平区市議予定候補がハンドマイクを握り「国民の手で政権を変えたのですから、私たち国民の願いしっかりと届けて政治を前に進めましょう」と訴えました。
「年金は増えないけど、引かれるものが増えて大変だ」「暮らせる年金にしてほしい」と切実な声が寄せられました。30分の行動で33人の署名が集まりました。
日本共産党の村上仁札幌市議は、3日の市議会代表質問で、保育所の待機児童・超過入所問題について、市の姿勢をただしました。
札幌市では、昨年10月に1111人だった待機児童が、今年10月には1655人と大幅に増加し、超過入所は1872人にのぼっています。
村上氏は「子ども未来プラン後期計画の素案では、5年間で3500人の保育所建設が見込まれているが、前倒しで実施できないのか」と求め、「待機児童と超過入所の解消をいつまでに実現するのか」とただしました。
生島典明副市長は、「計画決定後、着実に整備を行って増加する保育需要に対応していきたい」とのべ、現時点で、待機児童と超過入所の解消の時期を明確化することは困難であると答弁しました。
村上氏は、「国の保育基準は国際的にみても、保育実態に見合っていない。基準の緩和により保育の質を下げることのないようにすべきだ」とのべ、「問題を解消するため、抜本的に保育所を増やすことが求められる」と指摘しました。
市立札幌病院の院内保育を営利企業に委託する際、落札したにもかかわらず、突如、業者が辞退したために混乱を引き起こした事例を紹介した村上氏が、「営利企業は保育に参入させるべきではない」と迫ったのに対し、生島副市長は、「認可にあたっては十分な審査を行い、運営面でも指導をしっかり行っていきたい」と答えました。
「資金枠が9割程度活用される見込みである」とのべた生島典明副市長は、相談体制強化について、5日から30日までのすべての閉庁日に「特別相談窓口を開設し、年度未にも同様の相談体制をとることを明らかにしました。
豊平区革新懇、羊ヶ丘革新懇、新婦人豊平支部は12月9日午後、月寒東のスーパー前にて、6・9行動に取り組みました。
行動には13人が参加し、買い物客らに「核兵器をなくしましょう。憲法九条を守り政治に生かしましょう」と訴え署名への協力を呼びかけました。
「頑張って下さい」と声をかけてくれる姿が見られ、この日、憲法署名、アピール署名合わせて、33人の署名が寄せられました。
新婦人豊平支部は12月12日午後、第37回支部大会を行いました。
「小学校の現場から見える子どもの貧困」の内容での講演を聞き、情勢を深めあいました。
事務局長の議案提案のあと平和部、社会保障部、食べ物、環境、子どもと教育、親子リズム小組などから20人の発言がありました。
「班で続けてきた地域でのバザーで、会員が増えました」「リズム小組で会員が増え会員を倍加しました」「しんぶんを友人に増やしました」などの発言がつづきました。
これからも、仲間づくりを手放さず、若い世代、中高年世代、心のよりどころになる支部、班をめざそうと確認されました。
09年12月20日付「豊平区新聞」より