民主、自民、公明3党による消費税増税法案の強行採決を許せないと、日本共産党豊平区委員会と後援会は、18日昼、南平岸駅前で早速、宣伝行動を行いました。
マイクからは、党道3区政策委員長の森つねと氏(衆院北海道3区予定候補)と池田ゆみ市政相談室長が消費税増税ゆるすな、TPP許すな、原発なくせと訴えました。
また、「国民の声を無視する民・自・公を少数会派に追い込み、消費税増税を実施させないように」と訴える「豊平区新聞」の特別号を配布しました。
森つねと氏は、「しんぶん赤旗」記者として全道をかけめぐり、道民の皆さんと怒り、よろこびを共にしてきた経験を語り、「毎日一生懸命に暮らしているみなさんに励まされました。今までは皆さんの声をペンで伝えてきましたが、今度は直接国会に届けられるようぜひとも頑張りたい」とその決意を語りました。
そして、「貧困と貧富の格差が広がり、命をないがしろにする民主党政権に対して、国民の怒りが広がっています。その根底には大企業優先、アメリカ言いなりの政治があります。このしがらみから決別しなければ新しい政治は開けません。政党の組み合わせでは展望は開けません」と語り、消費税にたよらない財政再建、社会保障充実の提言を発表した日本共産党の躍進こそ必要と訴えました。
池田ゆみ市政相談室長は、国民の過半数が消費税増税に反対しているのに、増税法案を強行採決した民主、自民、公明の三党をきびしく批判するとともに、「党利党略に明け暮れる自民党にも政治をまかせるわけにはいきません。消費税増税が実施されれば、生活はますます厳しくなります。命を大切にする政治をみなさんと一緒に作り上げていく日本共産党へのご支援を、地元の森つねと氏とともに、全道を駆けめぐっているはたやま和也氏へのご支援をよろしく」と訴えました
終戦記念日の8月15日、札幌中心街で、さっぽろ平和行動実行委員会による反戦平和の行動が取り組まれました。
パルコ前では、11時過ぎから、平和の訴えを行うとともに、戦時の召集令状(赤紙)を配布しました。「赤紙」を受け取った若者の中には、その説明を聞いて驚き、真剣に見入っている姿も見られました。
はじめにあいさつに立った実行委員長の石川さんは、「戦後67年、『政府の行為で再び戦争の惨禍が起こることのないよう』と定められた憲法にもかかわらず、日本は朝鮮、ベトナム、イラクなどアメリカの進める戦争に加担するとともに、自衛隊の海外派兵を進めてきました。赤紙1枚で侵略戦争に再び駆り出されないよう、平和の誓いを新たにしましょう」と訴えました。
続いて、北海道被爆者協会の松本さんがマイクを握り、自らの被爆体験を語るとともに、「恐ろしい戦争があったのは67年前、遠い昔の話ではありません。二度とこうした悲惨な思いをすることのないように」と、核兵器廃絶、平和を守ることの大切さを訴えました。
原水爆禁止2012世界大会に原水協豊平・清田・南ブロック代表として参加したM.S.さんのレポートです。
原水爆禁止2012世界大会に原水協豊平清田南ブロック代表として参加させて頂きました。
私は小学校、高校の時に参加して以来今回で3回目の参加でしたが、社会人として以前より知識もついてからの参加で、学生時代の頃とは違った感覚で、とても良い勉強になりました。世界大会広島日程の中でも最も印象に残っている青年たちの交流会の様子を中心に報告したいと思います。
北海道代表団は総勢157名の参加で、6割以上が30代以下の参加になりました。中高生の参加や20代の青年が多く、北海道代表団結団式では「歴史をしっかり学び、北海道に帰ってからみんなに伝えたい」という声が多く聞かれました。
大会初日の開会総会終了後に行われた「link ring zero 青年のつどい」には、全国から1000人以上が参加し、用意されていた会場の椅子では座りきれなく、2階席や会場後方で座って参加する程の青年が集まりました。
被爆者の川田さんからは「明後日8月6日に原爆が投下されること、時間、場所を自分だけが知っていたらあなたはどうする?」と言う発言がありました。
その後、「二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、私たち青年の力で何が出来るのかをこれからも考えていこう」という集会になりました。
大会2日目、私は「青年のひろば ―学習・交流と被爆者訪問―」という分科会に参加しました。
被爆者の田丸歌子さんが、最初に自己紹介をして下さったのですが、歌子さんは自分の名前よりも先に「私の同級生は皆、瀬戸内海の底に眠っています」とお話されました。
原爆が投下されたのは12歳の時で、歌子さんの家族は3か月前に空襲を避けるために40km離れた田舎に疎開したそうです。このおかげで歌子さんは死を免れましたが、「学校の教師7名と生徒540名は爆心地から500mのところで死んでいった。眼球が飛び出し、衣服も全身も焼かれ、燃えてくる火に追われ、傍の川に入り、浮き沈みしながら息絶え、流され海底に眠っている。この人たちの、もっと生きたかった。だから核兵器をなくして。という叫びを生き延びた私が皆さんにお伝えしたい」と、核兵器廃絶の思いや、ウラン・放射能の危険性、当時の事をお話して下さいました。
(次号に続く)
夏の花はなんといってもヒマワリです。夏空に黄色い大きな花は映えます。ヒマワリの名は、太陽が移動するにつれ回っていくことからつけられましたが、それは若いうちで、花が咲く頃はほとんど動きません。最近はあちこちに、観光用のヒマワリ畑が作られていますが、花だけでなく、西欧では食用油の原料としても重要です。
花最近は狭い庭や鉢植えでも育てられるよう、ミニヒマワリも出回っています。
12年08月26日付「豊平区新聞」より