10日投開票された札幌市議会議員選挙では、豊平区からなんとしても共産党の議席をと2度目の挑戦をした池田ゆみ候補は、283票差でまたも次点という結果に終わりました。この間、多くのご支援をいただいたみなさまに対し、期待に応えられなかった事をおわび申し上げます。
池田ゆみの得票は8403票で、4年前の前回より1000票を減らしました。最下位当選者との票差は283票で、前回の685票の半分まで迫りましたが当選に至りませんでした。
今回の選挙は、①前回と違って9人の立候補で当選ラインが下がったこと、②女性候補4人がいずれも新人、その中で池田ゆみはいち早く候補として名乗りをあげ、他の女性候補は目立った実績もないなかで、池田ゆみは生活相談などの実績もあるという有利な条件がありました。しかしながら、こうした有利な条件を生かし切れませんでした。
党と後援会では、早くから池田ゆみへの支持を広げる活動を展開しました。しかし、これから本格的に支持の拡大をという時期に東日本大震災が起こり、選挙どころではないのではないかという迷いが現れ、支持拡大が一時停滞しました。このことが最後まで支持目標を達成できなかった要因と思われます。
札幌市全体としては、改選議席と同じ5議席に終わりました。中央区の小形候補は、市電の札幌駅までの延伸を掲げ早くから運動を展開し、返り咲きを果たしました。しかし厚別区では村上候補が議席を失いました。
前回の選挙と違って、今回は多くの方々が池田事務所を訪れ、選挙を手伝って下さいました。池田ゆみの人柄、政策を広めるために、この間多くのチラシを配布しました。おかげで、従来配布できていなかった地域にもチラシを配布することができました。1人で1000枚、2000枚と配布していただいた方もいます。こうした努力もあって、チラシによる宣伝は他候補を圧倒しました。
また、池田事務所の炊き出しにも多くの方々の支援を頂きました。選挙に入ってからは、池田候補は連日選挙カーに乗って訴えましたが、選挙事務所へ帰っての食事は支援して頂いたみなさんの温かい気持ちも合わせてもらうことができ、候補の体力と気力を大いにをつけることができました。
その他、選挙期間中には多くの方々が事務所を訪れ、励ましや支援をいただきました。支援の輪は前回より広がりました。支援をいただいたみなさまにお礼申し上げます。
東日本大震災では、14万人を超える人々が避難生活を余儀なくされています。札幌で真冬に今回のような大規模な災害が起こったとしたら、考えて見るだけでも背筋が寒くなります。札幌の災害対応は大丈夫でしょうか。
東日本大震災では木造家屋のほとんどが破壊され、鉄筋コンクリートの建物だけが残りました。小中学校は子供達のいのちと安全を守るために災害に強い建物であることが求められますが、それだけでなく、災害時の避難場所としても重要で、その耐震化が急がれます。
豊平区では、まだ、耐震化が終わっていない小中学校は以下の10校です。小学校=月寒、月寒東、中の島、西岡南、羊ヶ丘、平岸、福住、みどり、中学校=西岡、月寒東。これらの学校の耐震化は12年以降の計画となっています。
小中学校の耐震化はもちろんですが、今回のような地震が札幌で起こったとすれば、避難所は小中学校だけでは間に合いません。札幌のような人口密集地では、公共施設はもちろんのこと、民間の施設も含めた避難体制の確立が求められます。
災害時の問題は、避難所だけではありません。水や食料、毛布などの生活物資が用意されているかどうかも問題です。東日本大震災では、がれきで道路が寸断され、物資が運べなくなりました。災害時に必要な物資は備蓄されていても、避難所近くになければいざという時に役にたちません。備蓄場所も再検討が必要です。
水については、本紙でも取り上げたように、緊急貯水槽が市内に30カ所設置されていますが、これでも、給水できるのは3日間のみ。避難生活は3日では終わりません。物資輸送が遮断された場合の対応も考えておく必要があるでしょう。
市議会議員選挙の結果は残念な結果となりましたが、候補として市議選を戦った池田ゆみ市政相談室長は、13日、地下鉄月寒中央駅前で選挙の結果を報告するとともに、東日本大震災の救援を訴えました。また、安全な街づくりをめざし、引き続き共産党に対する支援をと訴えました。
日本共産党は、東日本大震災発生以後、救援募金を呼びかけてきました。豊平区の党と後援会でも、選挙で忙しい中、募金を訴えてきました。選挙期間中も池田ゆみ候補は各演説カ所で、募金を呼びかけました。
豊平区では現在までに25万円を超す募金が寄せられました。募金を寄せてくださった方々にお礼申し上げます。全国では、4億円を超える募金が党によせられました。これらの募金はすでに被災した3県と、47市町村に届けられています。
引き続き募金に取り組んでいますので、よろしくお願いいたします。
11年04月17日付「豊平区新聞」より