礼文島からの国民平和大行進が札幌入りした19日午後、豊平区平和行進が、好天のもと昨年の参加者を大きく上回る80人を越える参加で行われました。
今年の豊平区平和大行進は、区内を行進するとともに、礼文島からの幹線コースの行進を歓迎する行進にしようと、区内の民主団体が集まり実行委員会をつくって取り組みました。
行進に先立ち、出発地点の美園生協前で宣伝署名行動に取り組みました。「北は礼文島から南は沖縄から、8月の広島に向け平和行進が進んでいます。私たちは昨年から区内の幅広い団体が集まり、豊平区平和大行進を行うことにしました。みなさん一緒に歩きましょう」と行進への参加を呼びかけると共に、「平和を願う皆さんの声を署名にたくして下さい」と、核兵器全面禁止のアピール署名を訴えました。
買い物に訪れた人々も、行進を前に、何が始まるのかと関心を寄せ、署名に応じてくれました。
行進は宣伝カーを先頭に、国民平和大行進の横断幕を掲げ、のぼりや各団体の旗とともに、平和への願いを書いたうちわを手に、にぎやかに環状通りを進みました。宣伝カーからは、「世界には今も2万発の核兵器が貯蔵されています。核兵器で人類の生存と安全をはかることはできません」と核兵器廃絶を訴えるとともに、「今年は沖縄返還40周年です。しかし沖縄には今も、33もの米軍基地が存在します。基地をなくし平和な日本を実現しましょう。平和憲法を守りましょう」と平和を訴えました。さらに、「泊原発の再稼働を許さず、自然エネルギーへの転換を図りましょう」と脱原発を訴えるとともに、東日本大震災、福島原発事故の被災者救援を呼びかけました。
環状通では昨年の平和行進以来のデモ行進で、道行く人々や行き交う車からは注目を浴びました。
到着地の白石やまびこ公園では、礼文島からの幹線コースの到着を待つ間、合唱や参加者の交流、くじ引きなどで楽しみました。
今年は子どもの参加もあったことから、始めに「良く歩きました」と風船を贈って子どもたちの参加をたたえました。次に、岡野実行委員長より、「昨年から始まった豊平区コース、今年は好天に恵まれ大変良い行進になりました。ご支援をいただいた皆さんに感謝します。核兵器が沢山貯蔵され、米軍基地が日本に残っているというような状況が続く限り、平和行進は続けていかなければなりません。来年もよろしく」との挨拶がありました。その後「折り鶴」と「青い空は」をみんなで合唱した後、各参加団体の紹介、お楽しみのくじ引きと続きました。
そうこうするうちに幹線コースの隊列が到着。拍手で迎え入れ、礼文島から東京まで通して行進する米山幸子さんの労をねぎらうとともに、米山さんを囲んでみんなで記念写真を撮りました。
幹線コースの行進はこの後、一条大橋、大通りを経由し中島公園まで進みました。豊平区コースの参加者も10名余りが引き続き幹線コースの行進に参加しました。
このほど、日本共産党豊平・清田・南地区委員会が宮城県気仙沼市に震災救援ボランティアが派遣されました。
派遣隊の責任者として参加した池田ゆみさんのレポートです。
5月から気仙沼への震災ボランティアが再開。9日〜15日の日程で豊平区から3名が参加しました。気仙沼への道のりで、穏やかにきらきら光る海、まっすぐに伸びた松林や竹林、八重桜とやまぶきの花が私たちを迎えてくれました。
しかし、家や工場の土台だけが続く風景は昨年11月の時と変わらず、あちこちに菜の花が咲き乱れているのがかえって寂しさを感じさせました。
ボランティアの活動は田んぼの周りの草刈り、仮設住宅への訪問活動でした。
「この辺の田んぼは津波にやられてしばらくつかえないんですよ」と海沿いの田んぼのあと地を見せられ、津波の被害の大きさを目の当たりにしました。
仮説住宅の訪問聞き取り調査では、「共産党のボランティアです」と声をかけると快く対応してくれました。仮設住宅では地元の共産党と住民の運動が実って「畳を入れる、物置の設置」などが進められようとしていました。
そのような事もふまえながら対話をしていきましたが、要望の第一は「先の見通しを示してほしい」という内容でした。「今後、家を建てることができない区域なった土地をどうしてくれるのか」「土台の嵩上げがいつになるのか」「復興住宅の建設を早く進めてここから出たい」「行政の説明会では何もはっきりしない」などの思いがたくさん出されました。「建てて5年の家をすっかり流されました。ローンはたっぷり残っています」「ローンを払いながら今後アパートを借りるにしても見通しがもてません」と子どもを遊ばせながら話してくれた若いご夫婦。どの方の話も胸が詰まる思いでした。被災者の立場に立った復興が必要という事を肌で感じたボランティアでした。
陸前高田の一本松を眺めながら、はるか向こうの山のふもとまで平らな土地が広がるこの場所で津波到着まで6分20秒。「自分もここにいたら助からなかっただろう」と考えながら目先の利益や利便性の優先ではなく「命をどう守るのか」の視点に立っての街づくりの大切さをあらためて感じました。「この場に立って考え、感じることが一番大切」と地元の共産党の方の言葉に納得です。
最後にボランティア派遣募金にご協力下さったみなさんありがとうございました。まだまだ必要とされているボランティア活動です。引き続くご協力をよろしくお願いいたします。
この時期、西岡の水源地や羊ヶ丘の林内にオオバナノエンレイソウが白い花を咲かせています。延齢草とはめでたい名前ですが、語源はよくわかっていないそうです。
エンレイソウの仲間は幾種類もありますが、北海道に自生するオオバナノエンレイソウが、花びらも大きく純白で見栄えがします。7月になるとふくらんだ実を付けます。種をとってすぐ播けば、翌年に小さな葉が1枚出てきますが、花が咲くようになるには8年ほどかかります。
12年05月27日付「豊平区新聞」より