日本共産党豊平区市政相談室長池田ゆみ 池田ゆみのうごき、まちの話題をお伝えします 草の根のとりくみやまちの話題を庶民の目線で伝えたい

池田ゆみからのニュースと話題

Since 2006/10/23
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ニュースと話題

原発のない日本、

核兵器廃絶の声を広げよう

豊平区平和のつどい開催

21日、豊平区民センターで、平和のつどい実行委員会による「2012年豊平区平和のつどい」が開催されました。「つどい」はコーラスではじまり、原水禁世界大会参加者の紹介と激励、原発出前授業、福島からの避難者のお話と続きました。

参加者は当初の予想を上回る100人を越え、お年寄りから赤ちゃん連れのお母さん、小学生まで幅広い年代の方々がつどい、脱原発と平和への思いを新たにしました。

子どもたちのために原発のない日本を

―― 原発出前授業

新婦人コーラス子組「木いちご」のみなさんオープニングで、カタロニア民謡「鳥の歌」と「敗戦の歌」を歌う新婦人コーラス子組「木いちご」のみなさん

現役の高校教師として、授業で原発問題を教えるのみならず、道内各地で「原発出前授業」を行っている川原茂雄先生の「授業」はわかりやすく、原発による放射線被爆の問題を考えさせるものでした。

自らの怠慢反省し、「出前授業」を

豊平区平和のつどい川原先生は、出前授業をはじめたきっかけとして、「教師になって最初の赴任地が下川町で、当時、高レベル放射性廃棄物処理場の話が持ち上がっていた。反対運動に参加し勉強するとともに、社会科の授業でも取り上げた。しかし最近は原発について教えてこなかった。福島原発事故が起こって、これは自ら怠慢であったと反省し、生徒に教えるとともに、生徒と同じ授業を『出前授業』として全道各地で行うこととした」と語りました。先生の授業は評判で、この6月で130回を超えたということです。

福島原発事故は「収束」などしていない

講演する川原先生講演する川原先生

川原先生は、福島原発事故をあらためてふりかえり、いかに危険な状態であったかを以下のように語りました。

3月12日午後、1号機が水素爆発を起こしたが、このとき、私は、「5重の壁で守られているから安全」と言われていた原発の5重の壁がすべて壊れたと直感、東京にいた娘に、すぐ札幌に帰って来いと指示した。事実、東京まで避難区域になる最悪の事態も想定されていた。一番危険だったのは、運転休止中の4号機だった。4号機の燃料は原子炉から取り出されプールに貯蔵されていたが、冷却水が供給できず、燃料が溶融し放射性物質が大量に放出される危険性をはらんでいた。しかし、たまたま、原子炉からの燃料取り出しの際に使用した水が残されており、それがプールに流れ込んで危機を脱した。

福島原発の現状について川原先生は、「福島原発は今も1時間当たり1000万ベクレルの放射線を出し続けている。チェルノブイリ事故では7カ月後にコンクリートで原発を固めたが、福島原発では1号機にやっとカバーがかけられただけ、2〜4号機はむき出しのまま。「原発事故は収束」などというのは全くのウソ」と指摘しました。

放射線被爆に「安全」な値はない

川原先生は放射線被曝について、「年間100msv(ミリシーベルト)以上浴びるとガン発生のリスクが高まるとされているが、100msv以下でもリスクはある。被爆は宝くじに当たる事と同じ、宝くじは100枚買ってもなかなか当たらないが、1枚買った時より当たる確立は高くなる。しかし、1枚だけしか買わなくてもたまたま当たることはある」と説明しました。現在、一般の人の年間被爆許容量は1msvであるが、放射線被爆に「安全」な値はないと語りました。

さらに、事故後、放射性物質の拡散について、SPEEDIによる予測や、ノルウエー気象庁の予報などを公表せず、住民を放射能にさらした政府の責任は大きいとしました。また、福島原発から遠く離れた所でも、局所的に放射線量の高いホットスポットとよばれる所が存在しており、徹底した調査が必要としました。

子供達を放射能から守るために

川原先生は、「チェルノブイリでは、事故後5〜10年後に子供の甲状腺ガンが多発するとともに、何らかの病気や障害を持って生まれてくる子供が多くなったことを指摘し、「福島原発事故で一番心配なのは、子供達への影響である」としました。

そして、子どもたちを放射能から守るためには、「日本の原発をすべて停止させること、放射性廃棄物処理について考えること、核燃料サイクル政策からの撤退、日本のエネルギー問題と未来の社会像について考えること、福島の子供達を県外に疎開させること」が必要としました。

黙っていては世の中変わらない

川原先生の講演のあと、福島から札幌に避難してきている、本田浩成さんからお話をいただきました。

お話する本田さんお話する本田さん

本田さんは、避難を決意した経過について、「私は原発から60Kmほど離れた福島の中通りから避難してきたが、事故後、大学の先生などの講演を聞くにつれ、避難しなければと思うようになった。何より安全な食べ物ということで、札幌を避難先に選んだ」と語りました。

さらに、「まだ福島には多くの子供達が残っている。福島の子ども達の手紙にある『放射能はいつなくなるの?』という悲痛な叫びに大人達は責任を持つべきである」と語りました。

東京では官邸前で毎週金曜日にデモが行われていますが、札幌でも道庁前で行動が行われています。本田さんも、前日、奥さんと一緒に参加し、マイクで訴えさせてもらったと語りました。そして、「被爆者であろうとなかろうと、一日本人として、少しでもこういう話を聞いて頂いて、他の人に伝えて頂きたい。黙っていては世の中変わらないと思い、いろいろな所で話をさせて頂いています」と訴えました。

さらに、「福島原発から60Km離れた福島の中通りでは年間被爆量が5msvと高く、被爆許容量(1msv)を越えています。60Kmというと、泊原発から札幌までと同じです」と語り、泊原発で事故が起これば、札幌でも許容線量を超えるおそれがあると指摘しました。

原水禁世界大会参加者を激励

あいさつする長沼さん、佐々木さんあいさつする長沼さん、佐々木さん

つどいでは、8月4日から広島で開催される原水禁世界大会に豊平区から参加する3人の方々(新婦人から長沼さん、原水協豊平・清田・南ブロックから佐々木さん、勤医協月寒在宅から山口さん)の紹介がありました。

参加者からは、「今年は被爆から67年目の年ですが被爆の実相を風化させてはならない。原爆が何を残したか広島で学んで来たい。若い人たちに、原爆や原発についてもっと関心を持ってもらいたい。原水禁大会で学んで、今後の運動に役立てていきたい」と決意が述べられました。

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アジサイ

アジサイ アジサイと言えば、本州ではうっとうしい梅雨の時期に咲く花ですが、北海道では今が花盛りです。花びらの様に見えるのは、がく片とよばれ、蕚(がく)の変わったものです。本当の花は中心部にごま粒のように着いており、ここに小さな花弁と雄しべが付いています。アジサイは野生のガクアジサイから日本で園芸品種として改良されたものです。色は、青紫から、ピンク、白までありますが、土壌によっても変わり、酸性土壌では青色が強くなります。

アジサイは家畜の有毒植物として知られていましたが、人にも有毒で、平成20年6月につくば市内の飲食店で料理に添えられていたアジサイの葉を食べて、大人8名が、嘔吐、めまいなどの中毒を起こしました。

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12年07月29日付「豊平区新聞」より