先日参加した「子どもの権利ってなに?市民の集い」での第3部、中央大学の横湯園子先生お話は、「子どもの権利の実現」―尊厳の回復と癒しの視点から―というテーマで、臨床心理士の立場から、いじめなどのカウンセリングをしてきた実践からのお話でした。
いじめのプロセス・・・完全に孤立させていく。被害者に自分が孤立無援であることを実感させる作戦。孤立していない人間は持続的にいじめの標的にはならない。次に反撃は無駄なこととして、過剰な暴力をもって教え込まれていく。とくに大人に訴えることは特に厳しい罰(暴力)を与えられ、被害者も次第に「大人に話すことは卑怯である」というモラルを取り込んでいき無力化していく。
この辺からいじめは透明化して周囲に見えなくなる。見えていても気付かれなくなり(選択的不注意)、被害者はまわりの級友も大人も別世界の人に感じられる。
この話を聞き、いじめの報道の中でよく「まったく気づきませんでした。」と話される、先生たちの言葉がどうして出てくるのかが理解できたように思います。
このように、いじめを受けたAくんのカウンセリングの経過でのお話では、主体性・尊厳を回復していくまでに5年の月日を要したとのこと。自分のいじめのことを語り、現実と向き合うことにより自分の将来について主体的に考えていける・・・。
命の危険にさらされている子どもたちがたくさんいるのではないだろうか?と考えさせられるお話でした。
虐待・少年犯罪が毎日のように報道される中、子どもがしっかりと守られ、育ち、豊かに発達していけるように、政治を変えなければいけない。人が大切にされる政治にしていかなければ・・・。と強く感じました。
札幌市の子どもの権利条例制定に向けてがんばりましょう。
06年09月17日付「豊平区新聞」より