久しぶりの休みに「多喜二の歴史ツアー」に参加しました。
多喜二が小樽に移住して住んでいた場所、多喜二が通っていた小学校、山の上の多喜二のお墓、恋人の田口タキさんとのデートコースの水天宮、多喜二の文学碑とまとめて見ることができ、多喜二の作品と生き方に触れることができました。
多喜二は、住んでいた家から築港の埋め立て作業場での「人間扱いされない労働者たち」を見、格差と貧困を感じながら育ったことを知り、それが多喜二の作品の原点になっていることを学ぶことができました。
今、若い人の間でブームとなっている蟹工船ですが、人間扱いされない働き方の点で若い人たちが共通点を持ち、共感して読むことができていることに、納得ができ、頼もしさを感じます。
29歳で特高警察に虐殺された多喜二ですが、残した作品がいかに長生きしているかを感じます。
そして、作品の中から、私たちにあきらめずに声をあげ、繋がっていくことの大切さと必ず変えることができるという希望を与えてくれています。
多喜二の生き方、作品の素晴らしさを改めて感じ、元気をもらった1日でした。
08年07月20日付「豊平区新聞」より